断捨離 客間を寝室へ

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    断捨離作業を行っていると、色々なことを考える。

     

    客間を整理しながら、最近使ったことがないことに気がついた。

     

    昔の客間は大切な客が来た時の部屋として使い、普段では使わない。

     

    我が家も昔は、この客間が大活躍していた。

     

    然し、現役から離れるに従い、客間に通すような客が来なくなっている。

     

    来る客は気のおけない客ばかりで、ダイニングルームで事足りる。

     

    私の家は古い家なので、家の中で客間がもっとも上等な部屋であるにもかかわらず、全く使っていない。

     

    こんなもったいない部屋の使い方はどうなのだろうかと疑問に思った。

     

    部屋を生かした使い方はないのだろうかと、色々考えた末、思いついたのが私の寝室にすることである。

     

    私の基本的な考えは、夫婦別寝室である。

     

    昔は同じ寝室であったが、寝室を飛び出した。

     

    同じ部屋だと、夜中目が覚めても音を立てないようにしないといけないとか、どうしても気を使う部分がある。

     

    例え夫婦でも寝るときは、お互い、部屋で自由に過ごしたい。

     

    自分の部屋が片付いたら、寝室にしようと思いながらも、なかなか部屋が片付かず、ズルズルとリビングルームで、せんべい布団で、仮に寝る状態がずっと続いていた。

     

    自分の部屋には仕事関係の書類がたくさんあり、機密上の問題があるので、一律に捨てることが出来ず、いちいち吟味するだけで時間がかかるし、シュレッダーにかける作業も結構大変な作業である。

     

    家の中で床の間付きの最も良い部屋を寝室にするとは、我ながら良いことを思いついたものだ。

     

    終の寝室を決めたので、やっと新たにベッドを購入。

     

     

    疲れたら時間を気にすることもなく、ごろんとベッドに横になったり、自由気ままな家での過ごし方は快適そのものである。

     

    それにしても何故、こんな単純なことに気がつかなかったのだろうか?

     

    仕事から解き放たれ自由な身になっても、まだ仕事感覚が抜けず、客室は大切な客のための部屋で、普段使いする部屋では無いと言う固定観念から抜け出すことが出来ずにいたためだろうと思う。

     

    客間を寝室にすることで、精神面でも自由に解き放たれた気がする。

     

    断捨離はまさに不要なものを捨てることでは無く、今までの生活スタイルから、余生を快適に過ごす生活スタイルに変えることだとつくづく感じる。


    こじんまりした庭で新しい生活スタート

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      息子の家に土地を提供したことで、我が家の庭は前の1/10位に減った。

       

      然も半分はセメントを塗ったので、植木を植える空間は1/20程度になった。

       

      残した庭石と植木は何れも小さいもので、庭石:5つ、植木:6本である。

       

      庭石の1つは息子がモニュメントとして欲しいというので譲った。

       

      自分の家の中にも昔から家にあるものが欲しかったのだろう。

       

      その石は世代を超えての継承するものとなるだろうと思うと、そのようなことを考えてくれる息子の気持ちが嬉しい。

       

      さて狭くなってしまった庭であるが、考えようによってはこれも立派な終活である。

       

      この2、3年、庭を持て余し状態であった。

       

      30年間、手入れをお願いしていた庭師の方が倒れられ、丸2年木は大きくなり放題で、手がつけられないほど、生い茂っていた。

       

      腰痛のため、体を曲げることが出来ず、草を抜くのもままならない。

       

      2年も放置すると、庭全体が荒れ放題である。

       

      それでも周りの緑が無くなることには抵抗があったが、息子を助けるためなら躊躇することなく、庭を潰すこととした。

       

      息子の家の完成と同時にリニューアルした私の小さな庭も完成した。

       

       

      残した木を植え、整地し直すと、それなりに良い庭が出来そうである。

       

      この程度であれば、私も手入れが出来る。

       

      後、2、3本の木が植えられそうである。

       

      さて何を植えようか。

       

      やはり紫のバラが良いだろうか?

       

      焦ることはない。

       

      これからの楽しみに、ゆっくり時間をかけて考えるとしよう。

       

      とても新鮮な気持ちで、新しい生活がスタートした気分である。

       

       


      我が家に黒船がやって来た

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        息子の新居が完成し、引っ越して来た。

         

        夫婦二人のまったりとした生活に黒船がやって来たようなものである。

         

        特に可愛い小さな使節は手強い。

         

        グランパ、グランマと大きな声を上げてやって来て、にっこりされると手の施しようがなく、為すがままである。

         

        然も突然やって来る。

         

        とかく年寄り二人だと、出かける予定がない時は、だらけた生活を過ごしてしまう。

         

        出かける機会も少なくなると、徐々に生活のメリハリがなくなっていくことを薄々感じていた。

         

        これでは老け込むばかりと危機感を持つものの、ついつい安易な方向に行ってしまうものである。

         

        我が家にやって来た黒船に大いに刺激を受けた。

         

        この刺激をきっかけとして、だらけがちであった生活をメリハリのある生活に戻す絶好のチャンス到来である。

         

        折角、庭を解体し、大好きだった樹木や池を潰してやって、隣にやって来た息子家族である。

         

        ささやかな庭しか残らないが、それ以上の喜びが待っている。

         

        これを機会に心機一転、新生活にチャレンジしよう。

         

        そして、小さな使節からカッコイイグランパと言われるように溌剌としていたい。

         

        老いるのは身体が動かなくなってからで十分である。


        初めてKindle本購入

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          断捨離作業を通して感じたことの一つが、買った本の処理に困ったことである。

           

          本一冊はサイズが小さいので、買う時は簡単に買う。

           

          然し、古い人間にとって、読んだ本を捨てるということに抵抗があり、いつのまにか多くの本がたまる。

           

          断捨離で思い切って整理したが、紙で出来ている本は束ねるととても重い。

           

          大小様々の不揃いな形の本を段ボールに詰めるのは結構面倒な作業で、しかも運び出す時はとても重い。

           

          そろそろ電子本に切り替えなければと考えていた。

           

          Kindle本に変えようと考えたこともあったが、専用のKindle端末が必要で二の足の踏んでいた。

           

          然し、この私の情報は古く、いつからそうなったかわからないが、現在は無料アプリがサポートされていることに先日気付いた。

           

          Amazonのサイトを見ていた時、primeで無料のKindle本があることがわかった。

           

          私に取って、無料という言葉は非常に魅力的だ。

           

          どのような本が無料なのか調べて行くうち、無料アプリがサポートされていることに気付いた。

           

          とりあえず、大きな字で読めるPCに無料アプリをダウンロードし、使い勝手等、実用に耐えうるか評価するため、無料のKindle本を一冊ダウンロードした。

           

          まだ十分評価していないが、きめ細かな機能のサポートはなさそうであるが、普通に本を読むには十分である。

           

          早速、読みたい本を一冊買い、読み始めたが、今のところ、何の不便さも感じていない。

           

          Kindle端末という中途半端な端末が嫌で、目が向かなかったKindle本であったが、無料という表現に釣られたものの、結果はOK。

           

          これで今後、本がたまる心配はなくなった。


          ボーカルレッスンによる若返り効果

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            ボーカルレッスンに通い始めて、早八ヶ月経つ。

             

            友人が私のレッスンの効果を試そうというので、流川に繰り出した。

             

            習い始めたきっかけがあるピアノ生ピアノカラオケバーで、帰りにくれた自分が歌った歌を録音したCDを聞き、その下手さに愕然としたことである。

             

            そのピアノ生カラオケバーで成果を見ようということである。

             

            友人と夕食を済ませた後、ピアノバーに行く前に、一軒カラオケバーに行こうと誘われる。


            ピアノバーは腕に自信のある客が集まるバーなので、行く前にいつもカラオケバーで練習して行っているようだ。

             

            カラオケ好きの彼らしい行動だと思って、付き合うことにした。

             

            早い時間から行ったので、客は誰もいなく、貸し切り状態であった。

             

            ボーカルレッスンの成果を見せると言った手前、とりあえず歌って、採点結果を見る。

             

            歌が下手な私は、カラオケは苦手であるが、友人の手前、密かにカラオケハウスに事前練習に行っていた。

             

            その時の採点結果が、70点。

             

            然し、カラオケバーでの得点は、84点であった。

             

            カラオケの採点結果が必ずしも歌のうまさを反映しているとは限らないが、70→84は少しはレッスンの効果が出たと考えても良いのだろうと思った。

             

            そこで音大出のママが色々とアドバイスをくれる。

             

            歌が一本調子なので、抑揚をつけると良い。

             

            抑揚をつけるということは歌の意味を咀嚼し、愛の歌であれば、自分が若かった時の同じような経験を思い出し、その情景を頭に浮かべながら、その時の甘い気持ちを表現するように歌うと良い。

             

            歌というものは、上手く歌おうとするのではなく、下手でも良いから、思いを表現すると、きっと楽しいはず。

             

            歌を歌って、人生を楽しめばいいじゃない。

             

            なるほど!

             

            同じ愛の歌を歌うのでも、上手に歌おうとするのではなく、若い頃は、こんな時代があったなとその時の甘酸っぱい気持ちに浸って歌うことで、若かりし頃によみがえり、気持ちが若返る。

             

            これこそ、まさに年を取らない一つの手段であり、人生を楽しむ手段である。

             

            さすがにそこまで考えていなかったが、カラオケバーのママの言葉は私の心にずしっと響いた。

             

            結局、実技指導までしてくれ、かなり良くなったとお褒めの言葉を頂き、ピアノカラオケバーに行き、歌ったところ、そこのママが、very goodとお世辞を言ってくれた。

             

            友人がもう一軒カラオケを歌いに行こうと言うので、3軒目で、試しに同じ歌を歌ったところ、採点結果は96点であった。

             

            この時は確かに気持ちよく歌えた。

             

            2軒目のカラオケバーのママのアドバイスが効いたのだろう。

             

            私は採点結果が何点かはどうでもよく、結果が上がって行く過程をみて、忘れかけていた人生の一つの楽しみ方を見いだせたことが、大きな収穫であった。

             

            CDに録音された自分の歌がきっかけで始めたボーカルレッスンから、カラオケバーに行くことになり、その結果、思いも寄らなかったこれからの人生の一つの楽しみ方を見つけることができたのである。

             

            何歳になっても、果敢にチャレンジするというと大げさであるが、まずはやってみるという姿勢は、いつまでも必要だと改めて感じた。


            ブログを書く意義とは

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              久しぶりに書くブログである。

               

              私に取ってブログとは何なのだろうと疑問に思い始め、記事を書く気がしなかった。

               

              私に取って、ブログを書く一番の目的は文章を書くことで、智力をなるべく維持することであった。

               

              人間は年を取る毎に体力・智力が衰えて来ることやむを得ないと思っているが、何らかの努力をすることで、衰えを最小限に抑えることはできる。

               

              そう思って始めたブログであるが、どうもそれだけで動機づけるのは難しかったようである。

               

              実は、ブログが流行始めた頃から、ブログを書いている。

               

              最初の目的は、仕事面での成果を得るものがあるか、試して見ることであった。

               

              既に独立していたので、会社のHPにもリンクを張っていたが、私のような職業では何の成果も出なかった。

               

              オフ会等も開催し積極的に活動していたが、当初の目的とは逆の軽いのりのブログになってしまった。

               

              ブログを書く意義がなくなり、いったんブログを閉鎖した。

               

              その後、仕事の合間の暇つぶしでブログを書いたりしたが、余りに本音をストレートに書きすぎたせいか、ブログが炎上寸前に陥り、閉鎖した。

               

              その後は二つのハンドルネームで、色の違うブログを書き、違う世界を楽しんでいた。

               

              色を変えることで、全く異なるブロガーさんと接点を持つことは自分の世界が広がるようで、楽しかった。

               

              然し、たまたま仕事が忙しくなり、ブログを書く余裕がなくなり、また止めた。

               

              そんなことを繰り返しながら、当分止めていたブログを一年半くらい前に再開させたのが今のブログである。

               

              そして途中で書く意欲を失った。

               

              私が飽き性であることが最大の原因であることは間違いなく、性格的に絶えず攻撃の姿勢でなければ気が済まないからである。

               

              守りに入ると、マンネリ化し刺激が無くなるので、飽きて来るのだ。

               

              何故書く気がしなくなったのか、自己分析し、「智力を維持させる」という目標設定が間違っていたことに気付いた。

               

              維持するという目的は、現状維持することが精一杯で進歩がない。

               

              目的自体が受け身でアグレッシブでないから、飽きるのだ。

               

              どうすれば良いか?

               

              答えは簡単。

               

              「智力を更につけること」を目標にすれば良いのである。

               

              こんなわかりきったことに何故今まで気付かなかったのだろうか。

               

              気がつかないうちに守りの姿勢に入っていたのかも知れない。

               

              何歳になっても、知らないことはまだまだ多い。

               

              知らない世界を知ろうとする知的欲求を満足させることに注力し、その結果をブログ記事として表現するという目標を設定すれば、随分と変わるだろう。

               

              そう考えるとブログを書く意義は大いにある。

               

              これからは、この目標に沿ってブログに挑んでみようと思う。


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